びん商とリターナブルびんの歩み
びん商の歴史
空びんの回収
積み上げられたP箱
現在、508社(平成25年3月末)が全国びん商連合会に加盟し、北は北海道から南は九州まで、連合会の加盟各社が活動しています。資源を大切にし、有効に利用する精神が、地域社会活動へとつながっているのです。
びん商の発祥は、明治・大正時代に樽から容器の変遷に合わせガラスびんを扱い始めた会社や、酒販店や卸問屋のびん回収部門として設立したもの、また戦後の物資の乏しい時代にびん回収を始めたものなど様々です。
戦後から昭和40年代、紙パックなどの他素材の容器が登場するまで飲料容器の大部分はガラスびんでした。当時は新びんの生産量が十分ではなく、経済の高度成長とともに容器の需要が伸びるなかで回収びんは常に不足するような状態でした。この時代にびん回収を始める業者がいっきに増え、回収された一升びんや醤油の2リッターびんなどの空きびんが高値で取引される時代が続きました。酒販店は消費者が持ち込む一升びんを引取り、びん商が回収し、びんの再使用に向けた検査・洗浄を経て、再び中身が充填され出荷されています。
今でも続くリターナブルびんのシステムはこうして確立されました。
洗びん事業が全国へ発展
昭和48年に起こったオイルショックによって、世の中が省エネ、省資源の傾向に向かう中、酒類等の容器も、アルミ缶などの、より生産エネルギーの少ないものへと移行していきました。しかし、まだ多くの場面でびんは利用されていたため、びん商では変わらず“洗びん”を行い、中身メーカーへ納めていました。昭和30年代は、東京でも洗びんをして地方へ納めていましたが、時代が進むにつれ、生産地の近くで洗びんをするようになり、酒所の関西をはじめ、全国各地に洗びん機を持つびん商が現れることとなりました。
リターナブルびん利用の今後は業務店がカギ
今後は、業務店や生協などに代表されるクローズド市場でのリターナブルびん利用と回収が課題となることでしょう。