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びんリユース事例紹介

東京壜容器協同組合「東京システム21」

東京23区では、2000(平成12)年より東京壜容器協同組合(以下、東壜)が掲げた「東京システム21」が導入され、各区の東壜会員のびん商が参画して酒販店回収・自治体収集の両輪でリターナブルびん回収が行われています。 今回は、東壜会員の株式会社京福商店 笠井代表取締役に「東京システム21」についてお話を伺いました。

東壜会員 株式会社京福商店 代表取締役 笠井 聡志 氏

首都から発信するびんリユースの輪
「東京システム21」で推進するリターナブルびん

笠井 代表取締役

笠井 代表取締役

リターナブルびんは、「リユースびん」や「活きびん(生きびん)」とも呼ばれますが、実はその歴史は古く、ガラスびんが普及しはじめた明治時代にはすでに、びんを収集・洗浄・再使用するビジネスが生まれていました。この循環システムの中で独自のネットワークによりリターナブルびんを回収・再販しているのがびん商です。

自治体収集の現場では、びん商はびんのみを収集するのではなく、缶・PETボトル・古紙などの収集作業を担っています。東京23区の資源収集は、資源ごとに単独でコンテナまたはポリ袋に入れられて排出されているため、収集されるびんが破損する率は低く、その後のリターナブルびん選別に役立っています(ちなみに、ワインのびんはワンウェイびんなので、収集後は色分け、粉砕してカレットにされ、リサイクルされます)。びん商はびんの扱いに精通しており、リターナブルびんへの理解もあるため、より高い精度でのリターナブルびんの回収を可能にしています。この「東京システム21」において、東京23区の資源収集が開始された当初から各区の東壜会員のびん商が参画していたことは大きな利点であり、今後も続くびんリユースシステムの維持に必要不可欠な存在となっています。
生きびんとして選別されるリターナブルびん

生きびんとして選別されるリターナブルびん


酒販店回収と自治体収集の両輪で推進
リターナブルびん回収の取り組み

東壜は、1963(昭和38)年に3組合が合同して設立。当初は酒販店などを巡回して、リターナブルびんの集荷、卸売を行っていました。酒販店では消費者が持ち込む一升びんを引き取り、びん商が回収し、びんの再使用に向けた検査・洗浄を経て、再び中身充填され出荷されます。今でも続くびんリユースシステムは、こうして構築されてきました。しかし、消費者のライフスタイルや趣向、流通構造の変化に加え、スーパーマーケット・コンビニエンスストア・量販店などの増加にともない、酒販店は年々減少し、従来あった酒販店回収が弱体化した経緯がありました。

現在は、東壜の多くの会員がそれぞれ地元のリサイクル事業協同組合にも参加し、自治体収集にも携わっています。また、これにより東壜の各会員企業の経営が安定することで、結果的に酒販店回収が維持できている側面もあります。

自治体収集の仕組みは、各区がそれぞれ独自の施策として、ごみの収集日とは別に、週1回もしくは2回の資源収集日を設け、びん・缶・PETボトル・古紙・容器包装プラ、その他プラなどの収集を行っています。区民の方々は各地区のごみ集積所や資源ステーションなどに、それらの資源を分別して排出します。排出方法は、資源の種類ごとにコンテナに排出する、もしくは分別したものをポリ袋に入れて排出するなどの「びん単独収集」が主となっています。収集は委託業者により、2トン平ボディ車か2トンパッカー車を使用して分別収集が行われます。リターナブルびん保全の観点から、特に自治体収集においては、パッカー車による資源の混合収集ではなく、コンテナなどを用いたびん単独収集を維持するよう各区に働きかけています。

こうして選別施設に搬入されたびんは、最初にリターナブルびんをピックアップします。PL法などで製品の品質基準が厳しく問われている中、東京システム21の実現には何よりもリターナブルびんの品質を高い水準で維持することが重要となります。

びんの品質基準としては、1.口欠け、あたりキズ、擦りキズがないもの、2.汚れ、マジックによる落書きなどがないもの、3.タバコその他の異物が混入していないもの、4.油などを入れたもの、以上の専門的な検査を行い、洗びん工場できれいに洗浄されたものが再使用(リユース)されます。この基準からはじかれたものは「白(透明)」「茶」「その他」の3色に分別され、カレットとしてリサイクルされます。

一例として目黒区の2021年度実績は、リターナブルびんの回収本数は211,621本、びん収集量に占める比率(重量比)は4,6%であり、リターナブルびん、カレットとも高品質を維持できています。
目黒区での収集風景

目黒区での収集風景

ガラスびんを京福商店にて選別

ガラスびんを京福商店にて選別


東京ごみ処理の歴史
首都圏から循環型社会を発信することの意義

日本経済は1955(昭和30)年頃から高度経済成長期に突入し、生活が豊かになるにつれて、東京23区のごみの量も爆発的に増加しました。その一方で、清掃工場の建設は住民の反対運動などにより、進展がないままの状況が続きました。その結果、大量のごみは東京湾などの埋立処理場の環境を悪化させるばかりでなく、運搬車両が行き来することによる交通渋滞や、通過地域の汚染・悪臭問題なども引き起こし、区民の生活環境に多くの悪影響を及ぼしていました。1971(昭和46)年9月、危機感を強めた都知事による「ごみ戦争」の宣言から、都内各地への処分場の分散を推進しました。昭和の終わりから平成の初めにかけて、東京23区が軒並み資源の分別収集を始め、自区内処理でのリサイクル活動が開始されます。

こうして長年、ごみ・資源の収集問題と向き合い、試行錯誤を繰り返し構築してきたノウハウから、国内で最大の人口と消費を誇る東京23区で「東京システム21」により自治体収集からリターナブルびんを回収することは、とても意味のある、資源循環効果が高いことだと思っています。今後も循環型社会のモデルケースとして全国を牽引していけるよう、「3R」つまりはリデュース(発生抑制)、リユース(再使用)、リサイクル(資源としての再生利用)の輪を完結・発展させていけるよう努めてまいります。
出荷されるP箱に入れられたリターナブルびん
出荷されるP箱に入れられたリターナブルびん

選別され、洗びん事業者に出荷されるP箱に入れられたリターナブルびん